上西工業所-会社の生い立ちから現在に至る まで

初めまして。

この度は(有)上西工業所のホームページにご訪問をしていただきまして、
誠にありがとうございます。
私はこの会社の代表を仰せつかっております以倉と申します。

本日は記念すべき第一回目のブログということで、この会社の生い立ちから現在に至る
までの簡単な歴史や、私自身の仕事観や人生観、会社の方向性など、会社と私の簡単な
自己紹介を書いてみようと思います。

ブログということで、余り堅苦しい言葉は遣わずに、ざっくばらんに書いていこうと
思っておりますので、一体誰が興味あるねん!…と思わず突っ込まれそうですが、
最後までお付き合いいただければ幸いでございます。

上西工業所の始まり

さて、まずは上西工業所の始まりについて書こうと思いますが、私の祖父が1960年に
上西鉄工所という名前で立ち上げた会社なんだそうです。
私が1978年生まれの43才なので、まだ生まれる前の話ですよね…。

当時は今のような水道工事がメインの会社ではなく、鉄の加工業が中心の会社だった
そうですが、創業当時は大変な苦労があったそうです。

そんな中、徐々に水道工事業や土木工事業にシフトを切り替えていき、
今から43年前の1978年7月28日、正式に有限会社上西工業所へと社名を変更し、
本格的に水道工事業へと乗り出しました。

1978年といえば、ちょうど私の生まれた年と同じです。
私も上西工業所もどちらも43才。何か運命を感じちゃいますね。

社長変更

その後、1987年に社長が変わり、二代目の上西社長(先代の息子になります)へと
引き継がれます。この二代目の上西社長という人は、まさに仕事の鬼といえるような人で、
朝から晩まで働いて、家では寝るだけ…という、

今の時代では考えられないような働き方を地でいくような人でした。。。
まさに「24時間戦えますかー?」というキャッチフレーズの時代を生きてきた人です。
※40代以上の人じゃないと元ネタが分かんないです、はいww

そして去年の10月、私が三代目の代表取締役に就任をいたしまして、今に至るわけです。

上西工業所の特徴

…凄くないですか?

水道屋さんって町にたくさん溢れていますけど、1960年創業ってなかなか無いですよ!?
和菓子屋さんじゃないんですから、創業60年!とか特にアピールはしていないですが、
これだけ歴史のある水道屋さんなんて、まあ少ないと思います。

裏を返せば、それだけ数多くの同業者が潰れてきたということなんですかね。

では何故、上西工業所は潰れずに時代を生き抜いてこれたのでしょうか??
それは、私が考えるに次のような理由があったからだと思います。

・地域住民の水環境の保全を第一に考え、地域の絶大な信頼を積み上げてくることが出来た

・常に労働環境の改善に努めた結果、従業員満足度が高く、離職者が少なかった

・安定した経営が出来るように、不動産や公共事業、土木工事など、水道工事だけに頼らず
 にリスクの分散に努め、それぞれについて一定の成果を上げてきた

・仕事が増える→売り上げが増加する→社員を増やす→会社が大きくなる
→社会的信頼を得る→仕事が増える→売り上げが増加する…

という正のスパイラルの繰り返しで成長を遂げてきたので、多少の不景気にも左右される
ことがなく、地に足の着いた健全な成長を続けることが出来た

…なるほど、長い時間をかけて成長を続けてきた会社だけに、社会的な信頼も厚く、
今後も健全な経営の見通しが立っているということなんですね。うーーん、素晴らしい!

上西工業所の働き方


ちなみに私、自分で言うのもなんですが、よく働きます(笑)

正確に言えば、よく働くっていうのは物理的に労働時間が長いっていうことではなく、
突き詰めるところ、いかにして会社にお金を残すか?という動きを全力で取ろうとします。

どうせ同じ汗をかくのなら、出来る限り汗1滴の濃度を濃くしよう、
と常に考えている、ということです。

この辺は、効率よく働いて労働生産性を上げ、労働時間を短くし、ワークライフバランスを
整えよう、脱!ブラック企業!という世の中の流れと全く同じ考え方なんですが、
それを常に意識している意識レベル99の人です。

正確に言えば、意識レベル99で、実践出来てるレベル30くらいの人です。
いや…ダメじゃん!ってゆーね。
まあ冗談っぽく言っていますが、割とこれ本気で言ってますし、実践しているつもりです。

むっちゃ無駄を省いて効率よく働きたいですし、
従業員には安心安全で快適な職場を提供したいですし、
給料は(それなりに)満足のいく金額だけ持って帰って欲しいですし、
福利厚生を整えて、定年まで社員の家族丸ごと健康でいられる仕組みを作りたいですし、
地域住民や環境保全に配慮をした、SDGsに取り組む次世代型の水道屋として、
時代の先駆けになるような模範的な企業を目指したいですし、
社員も会社も健全な成長を続けて、この会社で働いてよかったな…と全員が心底思い、
私自身も安心して次の世代にバトンを渡せるような、そんな未来を作っていきたいですし、

書こうと思えば無限に出てくるので、ここら辺でやめときますが、
なんせこんなことを朝から晩まで毎日ずっと考え続けている人が、この会社の社長です。
そして、今のところ余り実現できていないんです、多分。
従業員の皆様、頑張ってみんなでこの会社を盛り上げていきましょう。

…ということで、何となく私のことを分かっていただけましたでしょうか?

最後に

ちなみに私は平成20年に入社をしまして、去年の10月まではただの一社員でした。
それが良いことなのかどうかは分かりませんが、他の社員からは、
恐らく社長という感覚は全く持たれておらず、同僚という感覚が強いと思います。

未だに結構ミスもやらかしますし、部下や後輩に怒られることもよくあります。。。
そして、僕はその状態が実は居心地が良くて、出来ればこの雰囲気のままいけたらなと
思っています。パワハラなんてもっての他!従業員こそが会社の財産!

なんせ従業員が20名しかいない職場なので、みんなで仲良くがモットーです。
その中で、売り上げを伸ばして会社を大きくして、みんなの人生が豊かになっていく…
そんなマンガやドラマみたいな胸熱の展開って最高じゃないですか!?

…ということで、また気が向けば第2回のブログを更新したいと思います。
次回こそは、本業の水道のことを書いていければと思います。

以倉

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この記事を書いたのは

(有)上西工業所 代表取締役 以倉 由之
1978年生まれの43才、3児のパパ。21才で大阪市立大学を中退した後、30才までバンド活動とアルバイトを繰り返す。
このままでは人生詰んでしまうと思い、一念発起をして30才の時に(有)上西工業社に入社。
「10年以内に独立」を目標に、死に物狂いで働いた結果、2021年10月に(有)上西工業所の代表取締役に就任する。
現在は、ワークライフバランスの重要性を再認識し、健全な職場環境づくりと、会社の事業拡大に闘志を燃やす。
趣味は競馬と料理。座右の銘は、人間万事塞翁が馬。JAPAN MENSA会員。